生きること、死ぬこと、それ以上のなにか・・・

このブログでは、音楽、なかでもクラシック作曲家である「バッハ」を中心に取り上げます。 また演奏家、CDについての批評も行います。 ちなみに私は指揮者のセルジュ・チェリビダッケに深く傾倒しております。

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チェリビダッケ批評 21 チャイコフスキー 交響曲第4番 へ短調


Tchaikovsky: Symphony 4 & Nutcracker SuiteTchaikovsky: Symphony 4 & Nutcracker Suite
(2004/10/04)
Tchaikovsky、Sergiu Celibidache 他

商品詳細を見る

EMIから販売されている、チェリビダッケの演奏をレヴューします。
これは21回目のレビューになります。

21回目の曲目は、

"チャイコフスキー 交響曲第4番 へ短調 作品36"(1992年録音)
原題: Tchaikovsky Symphony No.4 in f-moll

チャイコフスキーは6曲の交響曲を残しています。
(マンフレッド交響曲を含めると全7曲)
交響曲第4番という作品はは交響曲第3番と比較して飛躍的な進歩を遂げています。
(一体なにが転機だったのでしょう?)
交響曲第1番、第2番、第3番までの作品も非常にクオリティの高い、
立派な作品なのですが、
他の誰にも書くことが出来ないという意味で、
交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」はクラシック音楽の歴史の中でも、
非常に特別な作品となっています。


交響曲第4番を後の2つの交響曲と比較します。

交響曲第5番は全体的に非常に一体感をもつ作品です。
(動機労作の素晴らしさがそれを与えています)
素晴らしい傑作なのですが、
作品が作曲家の信念の吐露として考えた場合、
この作品はチャイコフスキーの本心から少し離れた作品のようにも感じます。

交響曲第6番「悲愴」は他に比類する作品が無いほど独創的な傑作です。
しかし、余りにもユニークな曲想ゆえに、
ひょっとすると交響曲というプラットから少し逸脱している感も否めません。

とはいえ、第5番、第6番の抱えている問題点?は作品の素晴らしさを決して損なうものではありません。

交響曲第4番という作品の素晴らしさは、
後の2つの交響曲での弱点(?)とされる部分が全く存在しないという点にあるのかもしれません。

第5番は作曲家の信念の吐露という点で、
第6番「悲愴」は全体の形式として交響曲全体を把握した場合、
それぞれ欠点が存在します。
(ただし、かけがえのないほど偉大な作品であることは事実です。)


以前も記述しましたが、繰り返させて頂きます。
この交響曲第4番という作品は、
チャイコフスキーの交響曲としてだけではなく、
ロマン派の交響曲としても、最高のものの一つです。
(あとは、ベートーヴェン、ブルックナー、ドヴォルザーク、マーラーが比類する位です。)


交響曲第4番は非常に悲劇的な作品です。
どこにも開放が無いという、閉塞感。
どうしようもなく抗えない絶対的な絶望の存在。
それを交響曲という厳密な形式に無理なく、いや必然性さえ持って創り上げられています。
そこにはチャイコフスキー自身の美意識に対する徹底的な態度さえ見て取れます。


全体の形式としては、「急 - 緩 - 諧謔(スケルツォ) - 急」という交響曲としては非常にオーソドックスな4楽章形式で創り上げられています。


―演奏について―

第1楽章 Andante sostenuto  Moderato con anima
ヘ短調、序奏付きのソナタ形式


沈黙と咆哮。
相矛盾される二つの動機が葛藤する。
結部は長調で奏されるが、皮肉の表情を隠せない。


第2楽章 Andantino in modo di canzona
変ロ短調、三部形式


オーボエの歌う旋律。
この悲しさ、儚さはなんなんでしょうか?
それがホルンに引き継がれ、朗々と音楽を奏でる。
交響曲第4番の楽章の中で、
最も希望を感じさせてくれる音楽です。


第3楽章 Scherzo: Pizzicato ostinato
ヘ長調 (アレグロ):スケルツォ(三部形式)


弦楽器のピチカート!
これは本当に何十人で演奏されたものなのか?
全てが溶け合い、オーケストラが一つの楽器であることに気付かされる。
そう、本当はこうあるべきものなんだと感じます。


第4楽章 Finale: Allegro con fuoco
ヘ長調 フィナーレ。自由なロンド形式。


第1楽章の冒頭のファンファーレが、
あまりにも痛ましく再帰される。

しかし、痛々しさ、悲しみだけではなく、
人間の尊厳、意志を標榜した音楽であるように聴こえます。




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  1. 2011/03/28(月) 04:41:42|
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チェリビダッケ批評 17 ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調

チェリビダッケ批評 17 ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調
Beethoven Symphonies Nos. 4  5

ベートーヴェン:交響曲第4&5番
(2001/04/18)
チェリビダッケ(セルジュ)

商品詳細を見る


EMIから販売されている、チェリビダッケの演奏をレヴューします。
これは第17回目のレビューになります。

第17回目の曲目は、


"ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調"(1995年録音)
原題: Beethoven Symphony No.4 in B-Dur

ベートーヴェンの交響曲の中でも非常に存在感のある、
交響曲第3番「英雄」と交響曲第5番に挟まれた、
比較的目立たない作品です。
シューマンは「2人の北欧神話の巨人(3番と5番のこと)の間にはさまれたギリシアの乙女」
と例えたと伝えられています。

しかし、曲の内容は?
英雄や運命に勝るとも劣らない、
非常に堂々としたものです。

―演奏について―

第1楽章 Adagio 変ロ長調(実質は変ロ短調)4/4拍子
Allegro vivace 変ロ長調 2/2拍子 ソナタ形式


暗い雰囲気の緩やかなテンポの序奏部でこの曲は開始されます。
一般的には主部に入ると、テンポを上げるのですが、
(暗くて遅い序奏部と明るくて快活な主部とのコントラストをつけるため。)
チェリビダッケはこのゆったりしたテンポを維持します。
しかし、音楽は停滞した印象を与えません。
それはなぜか?
音楽の各声部に意味を与え、全て歌いきるためです。

晩年のチェリビダッケは、
物理的な時間軸で測ると、
確かに遅い音楽を演奏しています。

しかし、決して遅い音楽ではないのです。
それは前述した理由によります。

これにより、通常の時間軸を超越した演奏になり、
音楽は神秘的な色合いを強く帯びます。
(ときに神がかっている印象さえ持ちます。)

これは、チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルだけが達成しえた独自の境地です。



第2楽章
Adagio 変ホ長調 3/4拍子 ソナタ形式

第一楽章、Allegroでは、
物理的な時間軸で測ると遅い音楽を奏でていますが、
第二楽章、Adagioの演奏時間は極端に遅いというものではありません。
なぜ、このようなテンポ設定になるのか?
この意味を理解しなければ、
チェリビダッケの音楽の本質は決して理解出来ません。
(断定的な言い方で申し訳ありません。
ただ私はそう確信しています。)


第3楽章
Allegro vivace、トリオ(中間部)はUn poco meno Allegro
変ロ長調 3/4拍子 複合三部形式 スケルツォ楽章


この楽章での白眉は、
トリオ(中間部)に入るところです。
穏やかな印象を与える音楽から転調し短調の音楽になります。
この部分の儚さ、幻想性は猛烈に美しいとしか言い様がありません。
なにか、絶対に手の届かないところへ、
懸命に手をのばしているような印象を受けます。


第4楽章
Allegro ma non troppo 変ロ長調 2/4拍子 ソナタ形式


非常に快活な音楽です。
これが齢83歳の音楽でしょうか?

チェリビダッケは音楽全体を見渡し、
曲が終わったときに、全ての意味が明らかになるという驚異的な音楽を目標としていました。
ここで、その理想は達成されています。

普通、ベートーヴェンの交響曲第4番という比較的小規模な音楽で人は感動するでしょうか?
おそらくしないでしょう。
しかし、これだけ凄い演奏を聴かされると、感動させられます、胸をうたれます。

これは、人間の意志の偉大さ、音楽の持つ力、それを十分に思い知らせてくれるような演奏です。







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  1. 2011/03/21(月) 21:35:43|
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チェリビダッケ批評 16 ベートーヴェン 交響曲第6番 『田園』 ヘ長調


ベートーヴェン:交響曲第6番ベートーヴェン:交響曲第6番
(1999/07/07)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

商品詳細を見る



EMIから販売されている、チェリビダッケの演奏をレヴューします。
これは第16回目のレビューになります。

第16回目の曲目は、


"ベートーヴェン 交響曲第6番 『田園』 ヘ長調"(1993年録音)
原題: Beethoven Symphony No.6 "Pastorale" in F-Dur

ベートーヴェンの交響曲作品中、最も美しい交響曲です。

―演奏について―


第1楽章「田舎に到着したときの晴れやかな気分」
Allegro ma non troppo ヘ長調 2/4拍子 ソナタ形式(提示部反復指定あり)


音楽が開始され、確かに音が鳴り響いているのですが、
異常なまでの静寂さを感じさせます。

完璧にチューニングされた弦楽器群のセクションが音楽を奏でます。
そこに乗り掛かる木管楽器の美しさ(官能的でさえあります)に聞き惚れてしまいます。
この曲がこれほどまでにポリフォニックかつ有機的に書かれていることに、驚かされます。

そして、第一主題から第二主題、そして提示部のクライマックスまでの一連の流れは、
あまりにも自然体で、こうでなければならないという確信に満ちています。

これはチェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの演奏でも、
最も最上位に数えられるものではないでしょうか。
この幸福感は他で得られるものではありません。

この交響曲は自然を賛歌したものです。
チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの自然を賛歌しようとする自然な気持ち。

しかし、ここで流れている音楽は、
20世紀の美学に基づく非常に人工的なものです。
人工的だから駄目。
と言っているのではありません。

人工的な理念を突き詰めていった結果、
(作曲家、指揮者、オーケストラ全て人工的なものです。)
ふと、音楽は自然に流れるのです。


第2楽章「小川のほとりの情景」
Andante molto mosso 変ロ長調 12/8拍子 ソナタ形式


とても柔らかな触り心地がする音楽です。
(それは弦楽器の完璧なチューニングに起因しています。)

第2楽章の再現部後半を聴いていて、
私は唐突に、シューベルトの交響曲第9番『グレイト』第2楽章のコーダ、
あの秋の風をうけ、
木の葉が舞い落ちるような憂愁な音楽の情景が重なりました。


第3楽章「農民達の楽しい集い」
Allegro ヘ長調 3/4拍子(トリオ部は2/4拍子) 複合三部形式(スケルツォ)。


うきうきした気分が心地良いです。
そして、次になにか来ることを予感させます。
すでに第3楽章の内に第4楽章の嵐の音楽が存在しているのです。


第4楽章「雷雨、嵐」
Allegro ヘ短調 4/4拍子


透明な嵐が吹き抜けます。
決して暴力的な響きにはなりません。
この嵐は猛威こそ振るいますが、
やがて調和の内に解決されます。


第5楽章「牧人の歌-嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた気分」
Allegretto ヘ長調 6/8拍子 ロンドソナタ形式。


この楽章では非常に簡潔に創り上げられています。
同じ主題が何度も何度も繰り返されます。
(第一楽章の主題群に起因した主題です。)

これはまるで、シューベルトの交響曲第9番『グレイト』第1楽章みたい!
単調な繰り返しですが、作曲家、演奏家が必死で旋律を歌い続けようとします。
繰り返すことでしか表現できない領域が芸術の世界にはあります。
この楽章やシューベルト、ブルックナー等がそのような音楽を書きました。


チェリビダッケはこの最終楽章のコーダで、消え入るように、あえて力を抜きます。


最後も本当に、この田園交響曲を語り終えるのが名残惜しいという、
優しく、本当に優しく最後の2つの和音を奏でる。
決して、強調したりしない。
この交響曲への思い入れが伝わる静かな終わり方です。


この演奏で聴くと、交響曲第5番と交響曲第6番が目指す方向性は違うにせよ、
兄弟作であるということに合点がつきます。
『田園』は確かに標題音楽的でもありますが、
動機労作という一点について、交響曲第5番とそっくりなのです。
目立ちませんが、『田園』においても、動機は執拗に使いまわされています。
しかし、そのことを頭ではなく、
実感として理解させてくれる演奏は、非常に稀有です。
(ほとんどの演奏は田園のほのぼのとした雰囲気に浸っているだけのものです。)



ここで、音楽と時間という切り離せない関係にあるものが、融和していく。

チェリビダッケは生前、このように述べていました。
「音楽には始まりも終わりも存在しない。」



私はEMIから出ているチェリビダッケの一連の録音の音質に対し、
やや懐疑的なのですが、ベートーヴェンの田園に対しては素晴らしい音質が確保されています。







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  1. 2011/03/19(土) 06:49:39|
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チェリビダッケ批評 11 チャイコフスキー 交響曲第6番 「悲愴」


チャイコフスキー:交響曲第6番/Tchaikovsky;Symphony no.6チャイコフスキー:交響曲第6番/Tchaikovsky;Symphony no.6
(2007/01/01)
チャイコフスキー、 他

商品詳細を見る


EMIから販売されている、チェリビダッケの演奏をレヴューします。
これは第11回目のレビューになります。

第11回目の曲目は、

"チャイコフスキー 交響曲第6番 『悲愴』 ロ短調作品74"(1992年録音)
原題: Tchaikovsky Symphony No.6 "Pathetique" in h-moll

チャイコフスキー自身の「交響曲第4番」「交響曲第5番」と並び、傑作の一つです。

正直に述べますと、この曲のレヴューを行うのは辛いです。
それは、この音楽が、その内に、
「自己破滅」「絶望」「自暴自棄」といったイデーを内在しているためかもしれません。
ただ聴くのみだけでしたら、そう問題にはならないかもしれません。
しかしこれはレヴュー(断じて感想ではない!)ですので、
作品の本質に可能な限り近づかないといけないという思いが私の中にあります。
よって、この曲のレヴューはきついなぁと思ってしまいます。


以前も記述しましたが、繰り返させて頂きます。
この曲は、チャイコフスキーの交響曲としてだけではなく、ロマン派の交響曲としても、最高のものの一つです。
(あとは、ベートーヴェン、ブルックナー、ドヴォルザーク、(マーラー?保留)位でしょうか。)
(ちなみに、私はブラームスの交響曲は、余り好んで聴きません。)


この曲に関して、チャイコフスキー自身は自身の最高傑作であると確信していたようです。
それを裏付けるエピソードとして、
人間としてのチャイコフスキーは極端なペシミストで、
常に自分の作品がどのように評価されるのか気になって仕方なかったそうです。

また、自身の作分を否定的に、
例えば「チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲」の初演を、
ヴァイオリニストのレオポルド・アウアー(当時の楽壇の権威)に依頼し、
「この曲は演奏不可能」であるとの返答をうけて、非情にショックを受けています。。

この交響曲第6番 『悲愴』の初演での評価は芳しいものではありませんでした。
しかし、チャイコフスキーはこの作品に関してのみは、
「自身の最高傑作」であるとかたく認識していたようです。

初演の9日後にチャイコフスキーはコレラ及び肺水腫で死亡しています。
様々な説がありますが、そのことについては触れません。


悲愴は「急 - 舞 - 舞 - 緩」という4楽章形式で創り上げられています。


―演奏について―

第1楽章
Adagio - Allegro non troppo
序奏付きソナタ形式、ロ短調


交響曲第5番でも述べましたが、
通常、このこの交響曲第6番の第一楽章の冒頭部分は、
悲しみを帯びた音色で奏されます。
しかし、チェリビダッケはの演奏で感じるのは、
「諦念」です。


なにか。。。
すべてを諦めているような。。。
それでも懸命に生きようとしているような。。。


しかし、「暗い」、絶望的なまでに「暗い」音楽です。

序奏部での上行3音形(ミ → ♯ファ → ソ)は、
この曲全体を通して、ある時は逆行形の形で姿を現します。


これはそのまま、第一主題
(ヴィオラとチェロの合奏(両パートの奏者の半分のみで奏する。))に受け継がれます。

チェリビダッケは執拗にこの音形を強調します、
それが、曲全体の統一感をもたらしています。


ここでのチャイコフスキーの管弦楽法の巧みさに圧倒されます。
私はこの曲のスコアを分析しましたが、
実に合理的、かつ有機的にオーケストレーションが為されています。

また、pppppp(ピアニッシッシッシッシモ?)
等の極端な強弱記号を使用するなど、表現意欲にあふれているように感じます。


そしてチェリビダッケとミュンヘン・フィルは、
オーケストラの全ての楽器が有機的な繋がりを持つよう演奏します。


圧巻なのは再現部の最後の辺りです。
全ての楽器がフォルテッシモで鳴り響いているのに、
全てのパートを俯瞰することが出来ます。
私はこの部分を初めて聴いたとき、
全身に稲妻が走ったような経験をしましたことがあります。
そのぐらい衝撃的です。
なんで、トロンボーンがこんなに強奏しているのに、木管の音が聴こえるのでしょうか?

ここは、最もチャイコフスキーとチェリビダッケの天才性が明らかになる個所の一つです。

音楽は徐々に、自然(不自然)?に優しさ(救い)?を取り戻していこうとします。

そして、最後のコーダの美しさ、今にも消えそうな儚さは何なんでしょうか?
救い?
いえ、違います。
このコーダの儚さは、後の楽章で完膚なきまでに、蹂躙されます。


第2楽章
Allegro con grazia
複合三部形式、ニ長調

非常に優雅な音楽です。
が、
4分の5拍子という混合拍子によるワルツなので、どこか不安定です。
(この音楽では踊れませんね。)
中間部の暗さは恐ろしいようです。

チェリビダッケの演奏で感心させられるのが、
アゴーギクが非常に適切に為されているということです。
(特に弦楽器群のセクションに顕著に現れます。)



第3楽章
Allegro molto vivace
スケルツォと行進曲(A-B-A-B)、ト長調


12/8拍子のスケルツォから、
4/4拍子の行進曲が姿を表し、
スケルツォから取って代わります。
この行進曲での高揚は凄まじいものがあります。
ここ部分でのアッチェレランドはなんていう自然さなんでしょう!

終楽章のことを考えると、
とても捻くれた(悲しい)音楽のように感じます。



第4楽章
Finale. Adagio lamentoso
(Andante lamentoso)


当時、緩急楽章を交響曲の結部に配置することは稀でした。
このことからも、チャイコフスキーのこの曲に対する表現意識の強さを推して知ることができます。


主題も、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが主旋律を1音ごとに交互に弾くという異常な形式を用いています。

オーケストラの音色は澄み切っています。
(澄み切っているという言葉だけでは表現したくありませんが、
非情に独特で透明で色彩が豊かで音色が深くて、
この時期のチェリビダッケとミュンヘン・フィルにしか、
達成し得なかった音色です。)



最後、曲は消え入るように終わります。
そして、諦念、無常感を感じさせます



チャイコフスキーの絶望を表現し尽くした演奏ではないのかもしれませんが、
この支離滅裂な交響曲に全体的な一体感を与えることが出来た希有な演奏だと思います。


ちなみにこの曲は1993年の来日コンサートで取り上げられています。
ALTUSさん、音源をリリースして下さい。






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  1. 2011/03/09(水) 03:15:10|
  2. チェリビダッケ批評
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チェリビダッケ批評 10 チャイコフスキー 交響曲第5番


チャイコフスキー:交響曲第5番チャイコフスキー:交響曲第5番
(2007/01/01)
チャイコフスキー、 他

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EMIから販売されている、チェリビダッケの演奏をレヴューします。
これは第10回目のレビューになります。

第10回目の曲目は、

"チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調作品64"(1981年録音)
原題: Tchaikovsky Symphony No.5 in e-moll

チャイコフスキー自身の「交響曲第4番」「交響曲第6番 悲愴」と並び、傑作の一つです。

チャイコフスキーの交響曲としてだけではなく、ロマン派の交響曲としても、最高のものの一つです。
(あとは、ベートーヴェン、ブルックナー、ドヴォルザーク位でしょうか。)


この曲に関して、チャイコフスキー自身が、
「第4楽章の終結部(コーダ)が嘘くさい」
と否定的な見解を述べています、
(実際、曲として見たとき、展開的に無理やりな感は否めません。
しかし、演奏により、説得力のある展開に昇華することは可能です。
チェリビダッケも全体として見たときに、非情に説得力のある音楽に為し得ていました。)


―演奏について―

チェリビダッケはチャイコフスキーの音楽を非常に得意としていました。
「交響曲第5番」だけでなく、
「交響曲第4番」
「交響曲第6番 悲愴」
「組曲:くるみ割り人形

等も、得意のレパートリーでした。

この「交響曲第5番」も、非情に説得力を持って演奏していました。

第1楽章
Andante - Allegro con anima
ホ短調、序奏付きのソナタ形式


通常、この冒頭部分は、悲しみを帯びた音色で奏されます。
しかし、チェリビダッケはの演奏で感じるのは、
「諦念」

現在進行形の悲しさではなく、
もはや過去の出来事を語っているかのようです。

(慟哭や切迫感は皆無です。)
しかし、決して無感情の演奏では決してありません。

この序奏部は循環主題として、各楽章に登場します。
この曲を決定づける要素として非常に重要なモティーフとなっているのです。
(ネタばれになりますが、チェリビダッケはこのモティーフを偏執狂的に取り扱っています。


第一楽章では「諦念」として、
第二楽章では「儚い希望」として、
第三楽章では「無重力的」なものとして、
第四楽章では「救済」として・・・

この描き分けは見事です。そして非常に理にかなっています
これほどまでに、このモティーフに意味を与えた演奏は皆無と言っていいでしょう。)


導入部が終わり、提示部に入ります。
通常、第一主題、第二主題、そして第三主題は対立するものとして、
それぞれ明確なコントラストを与えられるのが通常ですが、
この演奏はどうでしょう。

対立、葛藤しているようには聴こえないのです。
全てが「諦め」の色合いを帯びています。


確かに、この楽章だけを取り出して聴いてみると、
全くソナタ形式的には聴こえません。
しかし全楽章を通して聴くと、
各楽章がソナタ形式の各要素になっていることが、
鮮明に分かり、驚愕させられます。

この楽章の終わり近くに、非常に破滅的な響きがする箇所があるのですが、
チェリビダッケは、諦念を持って、破滅的な響きを回避しています。

あくまで、この部分は全体の一つの要素として、描かれます。
安直に刺激を与えるのは、簡単ですし、効果的です。
しかし、チェリビダッケは先を見据えているのです。
(例えば、レナード・バーンスタインがこの曲を演奏した際には、
この部分は徹底的な破滅として描かれ、カタルシスをもたらします。
それはそれで魅力的なものです。)

そしてこの楽章は、なにか不可思議な印象を与え、終末を迎えます。

第2楽章
Andante cantabile, con alcuna licenza
ニ長調、複合三部形式


冒頭のチェロとコントラバスを中心とした弦楽器の合奏。
この部分にこんな深い意味が込められていたなんて!


ホルンが希望に満ちたメロディを奏でます。
しかしこの部分は救いようがないほどに悲しい印象を聴き手に与えます。
その理由はおそらく、
どんなに頑張っても、届き得ないものに対して、手を伸ばしているからです。
ここにあるのは、「祈り」、そしてやはり「諦念」で塗り固められています。


祈りは余りにも儚く、今にも消え去ってしまいそうです。
それでも、必死に必死に祈りを歌に込めて歌ます


第3楽章
Valse. Allegro moderato
イ長調、複合三部形式


非常に気品に満ちた音楽です。
しかし、その表層の背後に、
いつ崩壊してもおかしくないような恐怖感があります。

第4楽章
Finale.Andante maestoso - Allegro vivace(Alla breve)
ホ長調 → ホ短調 → ホ長調、序奏付きのソナタ形式


冒頭部分の威厳さ、そしてかけがえのないほどの優しさは、
他の演奏では、決して聴くことができないものです。


通常、この楽章は「勝利」のニュアンスを持ち、演奏されることがほとんどです。
しかし、チェリビダッケの演奏の場合は、「救済」の意味を持ち、演奏されています。

「勝利」のニュアンスを持った演奏では、この楽章はチャイコフスキーの言葉通り、なにか嘘くさいものとなります。
しかし、チェリビダッケの「救済」されたかのような演奏では、全く齟齬が感じられないのです。

私は、この曲のこの楽章が、このように演奏され得るんだと知った時、戦慄に近い感覚を覚えました。
そして、この曲に関しては、チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの演奏だけしか、受け入れ難くなってしまいました。
(あまり良いことではありませんね。
曲の解釈は無限にあり、ひょっとしたら、これとは別の演奏が、私を納得させてくれるかもしれません。)

このようにチャイコフスキーを演奏した人は、セルジウ・チェリビダッケだけでしょう。
空前絶後の演奏だと思います。
数あるチェリビダッケの演奏のなかでも、これは最善の部類に入ると思います。


こういう「奇跡的」なものに対して、伝える言葉は非常に無力です。
この演奏の偉大さ、凄み、感動性をほとんど伝えることが出来ていないように感じます。

もう、多くは語りません。
曲は、最後に向け、朗々と流れていきます。

「一体なんのために?」
「救いを得るため。」


チャイコフスキーが嘘くさいと語ったコーダも、
決して、そんなことはありません。

この演奏は、威厳を持ち、かつ感動的に、終結を迎えます。

このような偉大さに触れると、
生きていくことは、
価値があると感じさせてくれます。
私は、この演奏を聴くことが出来て良かった。
確信を持って、
心からそう言えます。







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