生きること、死ぬこと、それ以上のなにか・・・

このブログでは、音楽、なかでもクラシック作曲家である「バッハ」を中心に取り上げます。 また演奏家、CDについての批評も行います。 ちなみに私は指揮者のセルジュ・チェリビダッケに深く傾倒しております。

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マーラー 交響曲第1番 ニ短調 -巨人-

Mahler
作曲家グスタフ・マーラー(GustavMahler)

の作品を順次紹介させて頂きます。

今回採り上げる曲は、マーラーの最も初期の交響曲、交響曲第1番 ニ短調 ≪巨人≫です。

私が所有しているディスクは以下の14枚です。☆×10

01.ジョン・バルビローリ&ハレ管弦楽団(1957)
☆☆☆☆☆☆☆(7)

(バルビローリならではの非常に力強い演奏です。)

02.ブルーノ・ワルター&コロンビア交響楽団(1961)
☆☆☆☆☆☆☆(7)

(ブルーノ・ワルターはマーラーの直弟子にあたる人物です。演奏は非常に聴きやすいものです。)

03.レナード・バーンスタイン&ニューヨーク・フィルハーモニック(1966)
☆☆☆☆☆☆☆☆(8)

(マーラーが今日、ここまで有名になったのは、レナード・バーンスタインの功績によるところが大きいです。彼はまだ、マーラーが作曲家として無名だった頃から、積極的に採り上げています。マーラー・ブームを作った一枚!)

04.オトマール・スウィトナー&シュターツカペレ・ドレスデン(1966)
☆☆☆☆☆☆☆☆(8)

(一般的には地味な録音とされていますが、とんでもない!この録音はオーケストラのシュターツカペレ・ドレスデンが素晴らしすぎる。このオーケストラは、個人的にはベルリン・フィルやミュンヘン・フィルに並ぶほど素晴らしいオーケストラです。旧東ドイツのオーケストラなので、なかなか注目を浴びないのが残念です。)

05.ラファエル・クーベリック&バイエルン放送交響楽団(1967)
☆☆☆☆☆(5)

(クーベリックは素晴らしい指揮者なのですが、この音源は、録音が酷い。ライブ録音などが残っていれば良いのですが・・・)

06.レナード・バーンスタイン&ウィーン・フィル管弦楽団(1974)_DVD
☆☆☆☆☆(5)

(ちょっと濃い演奏です。それがウィーン・フィルに余りマッチしていない印象を受けます。)


07.クラウス・テンシュテット&ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(1977)
☆☆☆☆☆☆☆☆(8)

(これは素晴らしい演奏です。EMIの録音はいまいちなのですが、それを補ってあまりある素晴らしさ、怪しさがあります。)

08.ヘルベルト・ケーゲル&ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団(1979)
☆☆☆☆☆☆(6)

(ケーゲルにしては、いまいちな録音。)

09.ゲオルグ・シォルティ&シカゴ交響楽団(1983)
☆☆☆☆☆☆☆(7)

(非常にスムーズに聴かせるマーラーです。聴いていて心地よい音楽です。)

10.レナード・バーンスタイン&アムステルダム・コンセルトヘボウ(1987)
☆☆☆☆☆☆☆(7)

(バーンスタインのマーラー交響曲第一番の録音ではこれがベスト!円熟した至芸!)


11.クラウス・テンシュテット&シカゴ交響楽団(1990)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆(9)

(後述します。)

12.ガリ・ベルティーニ&ケルン放送交響楽団(1991)
☆☆☆☆☆☆☆☆(8)

(余りにも美しいマーラー!しかしこの交響曲は美しさだけではどうにもならない部分があります。しかし美しい、ベルティーニ恐るべし。)


13.ミヒャエル・ギーレン&南西ドイツ放送交響楽団(2002)
☆☆☆☆☆☆☆☆(8)

(後述します。)

14.マイケル・ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団(2001)
☆☆☆☆☆☆☆(7)
(現代の新しいマーラー像です。ただ、インパクトが薄い。しかし、2流のオケをここまで鳴らす手腕はお見事。)



この中で最も素晴らしい演奏は、間違いなく、
クラウス・テンシュテット&シカゴ交響楽団(1990)です。

この交響曲第1番は内容は実に典型的なものです。
プロットはベートーヴェンの「運命」に酷似しています。
しかし、そのボキャブラリー、表現方法は、「運命」の比ではありません。
(決して「運命」を貶めているわけではありません。)
しかし、様々な工夫を行ったからと言っても、「暗」⇒「明」という流れは変わりません。

私が、テンシュテット&シカゴ響の演奏に固執するのは、
この演奏が余りにもデモーニッシュ(悪魔的)だからです。
通常、「明」は適度に抑制されて登場します。
しかし、テンシュテット&シカゴ響の演奏では、「明」を圧倒的に輝かせるため、
「暗」の部分を徹底的にいじり抜いています。
それ故、音楽が力を取り戻す際のパワーは計り知れないものがあります。

はっきり言って、この交響曲はマーラーの作品の中では下位に数えられるものだと思います。
しかし、ここまで、徹底して演奏を行うことで、異常な力を持つことがあります。
その好例が、テンシュテット&シカゴ響の演奏です。

あと、ミヒャエル・ギーレン&南西ドイツ放送交響楽団の演奏が、
非常にポリフォニックで、他の演奏と異質なものになっています。

通常のマーラー演奏は、自己の苦悩を克服する様なイメージを持ち、演奏するものですが、
ギーレンはそんなことに全く興味を持たず、音符の流れだけを追っている印象を受けます。
それ故、どこか達観した雰囲気を感じさせます。

テンシュテットのシカゴ響の演奏は単売ですが、ロンドン・フィルとの演奏は全集ですので、
そちらから入るのも良いかもしれません。
シカゴ響とはまた違った、ヨーロッパ的?なおどろおどろしさがある演奏です。

少なくともこの曲に関して、私が自信を持って述べることが出来るのは、
テンシュテット&シカゴ交響楽団の演奏を聴くべきだということです。

マーラーは最終的に交響曲(つきつめていくと、ソナタ形式)という形式を破壊しています。
(交響曲6,7,9番で詳しく説明させて頂きます。)
そのような作曲家の最初の作品が、見事にソナタ形式に準じているというのも不思議な気がします。

次回は交響曲第2番「復活」を採り上げさせて頂きます。



マーラー:交響曲第1番「巨人」マーラー:交響曲第1番「巨人」
(2010/10/20)
テンシュテット(クラウス)

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テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽

  1. 2012/03/07(水) 07:47:47|
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チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル

チャイコフスキー : 交響曲第6番ロ短調「悲愴」チャイコフスキー : 交響曲第6番ロ短調「悲愴」
(1997/11/27)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

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久しぶりにチェリビダッケを取り上げます。

==============================================

取り上げる曲目は、
チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」 ロ短調
チャイコフスキーの最後の交響曲です。

1.「悲愴」の持つ形式について
2.「悲愴」のオーケストレーションについて
3.「悲愴」の内容、またチェリビダッケの演奏による悲愴の意味
4.チェリビダッケが演奏を通して実現したこととその意味


曲(1&2)と演奏(3&4)について記述を行います。

1.<形式について>

当時の交響曲は概ね、以下の形式をとっていました。

一般的な交響曲(以下を4楽章形式に読み替えてください。)

「急 - 緩 - 舞 - 急」
第一楽章
    最初に問題提起を行います。ここで提起された問題は解決されることなく、次の楽章に進みます。
第二楽章
    緩やかな楽章、第一楽章の緊張を緩和する意味合いもあります。「まぁ、ちょっくらゆっくりすべぇ」みたいな。
第三楽章
    ベートーヴェン以前→「踊りでも踊るか」ベートーヴェン以降→第四楽章のための準備(クライマックスへの周到な計算)第四楽章
    全てを昇華するための楽章です。第一楽章で提起された問題の解決を図ります。

チャイコフスキーの悲愴

「急 - 舞 - 舞 - 緩」
第一楽章
    最初に問題提起を行います。そこは一般的な交響曲と一緒です。
    しかし、最も重要な点はこの楽章の最後で、提起された問題が、(救済?)により解決されているとい     うことです。
第二楽章
    「踊りでも踊るべぇ」、しかし、4分の5拍子という混合拍子により、変てこな踊りになります。
第三楽章
    すっごい皮肉な音楽。なにこれ?最後に高揚して終結を迎える。次の第四楽章とのコントラストが異常。
第四楽章
    全ては悲しみのうちに解決される。(そもそも、問題は存在しなかった。)


以上のように、形式だけを取り上げても、革新的(当時においては)です。
全体の形式を俯瞰するだけでも、
チャイコフスキーの異常なまでの表現意欲が実感できます。


2.<管弦楽法について>
オーケストレーションも良く出来ています。
(重なり合う楽器間の見通しの良さったらない!)

そもそも、オーケストレーションに関して言えば、
チャイコフスキーという人のスキルは、
クラシック音楽の作曲家の中でも群を抜いています。


ロマン派の作曲家のオーケストレーションだけを取り上げ、批評します。ちょっと脱線・・・
(かなり、主観が入っているのでご容赦を(´ ▽`).。o♪♪ ボケ~)

・ベートーヴェン →頑張ってるね~、でも気合いが空回り気味・・・いやいや、良いところもある。
・ベルリオーズ  →ド派手ですね~革新的だけど、まぁ、一発屋・・・
・シューマン   →上手くはないけど、下手でもない。まぁまぁ・・・たまに変てこな響きが現れる。
・メンデルスゾーン→無難な感じ・・・たまに透明で、感心させられる時がある。
・ワーグナー   →非常に煽情的(官能的?)。そりゃ、ルートヴィヒ2世もヒトラーもハマりますわな。
ブルックナー  
→独自の世界に入っている。良い悪いの問題ではない。この人だけがなし得ることができた。
・ブラームス   →シューマンと同レベル。さすがロマン派を代表するブラームス先生!
・チャイコフスキー
→非常に考え抜かれた、適切なオーケストレーション。響きが他のボンクラとは違う。
マーラー    
→濃厚トンコツラーメン(交響曲第9番、大地の歌を除く)


個人的に好きなランキング
(ロマン派のオーケストレーションに限って)


第1位 ブルックナー(Anton Bruckner) 神秘的 
第2位 チャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky) 上手すぎ 
第3位 マーラー(Gustav Mahler) 狂気のような音の重ね方

3.<悲愴の内容について>
曲が表明する世界観は、演奏と密接に関わり合いをもつ。
よって、この曲の内容は「チェリビダッケの演奏」で詳述させて頂きます。

==============================================


3.<内容、そしてチェリビダッケが演奏(表現)した悲愴の意味>

チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー
チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」
1992 Lve録音


最初に結論を述べます。
この演奏は、恐ろしい領域に到達しています。
私は第一楽章を聴いていて、体中に稲妻が走ったような感覚に襲われました。
チャイコフスキーの形式、オーケストレーション、この曲が訴え掛けたいなにか・・・
全てを完璧(チェリビダッケの美学の中で)に意味あるものとして、表現しています。

これは畏怖すべき対象にさえ為りうるものです。

<このような演奏が生まれた背景>

(音楽が実現されるために必要なプロセス)

①人間が、作曲家が、このような曲を着想し、作曲という形で楽譜に残します。

②演奏者が、その楽譜から、
 作曲家の着想を想像(論理的に、あるいは直感によって)し、演奏を実現します。

③そして、聴き手は、生あるいはCDで、作曲家の意見を、突き付けられます。


以上のこの一連のプロセス①~③は、無限に繰り返されているでしょう。
チェリビダッケのチャイコフスキーも、これと同じプロセスを通過しています。

録音嫌いだった、チェリビダッケですが、
こうした貴重な遺産が残されたことに対して、とても感謝の念を覚えます。


ただ、この録音は、なにかそれ以上のものを、実現?
しているような感覚に襲われます。
おそらくそれは、”本来の意味”での、「音楽」ではないでしょう。
(”本来の意味”とは?)


4.<チェリビダッケが演奏を通して実現したこととその意味>

生前、チェリビダッケの目標は、

「聴き手に、
「現在に全てがある」
ことを経験させる」


ことだったそうです。

また、こうも述べています。

「現在が永遠であることを理解するとき、
それは神の存在を経験できたということなのです」


つまり、チェリビダッケは「音楽」というものを媒介にして、
「ヒト」に「カミ」を経験させようとしていたのでしょう。


しかし、それ(「ヒト」に「カミ」を経験)を実現させるのは、非情に、難しいことです。
いや、成し遂げられたことが、奇跡的だと、私は思っています。

それを実現するためには、以下の内容が必要になります。


「初まりの中に終わりがある」(時間軸という観念からの脱出)
「全ての音、それぞれに意味がある」(ユートピア願望?世界観の表明)



話を戻しましょう。
チェリビダッケのチャイコフスキー「悲愴」においては、それが達成されています。

なぜ、達成出来たのか?

面倒な過程は省きます。

それは、おそらく、チェリビダッケが世界、宇宙、神に対して
「諦念」を抱いていたからです。

つまり、演奏される曲よりもっと以前、
深くに、チェリビダッケの「諦念」があります。
よって、演奏された曲が、どんなに激しいものであろうとも、
絶望を詠ったものであっても、
どこか、「諦め」の気配が感じられます。


チャイコフスキー「悲愴」の場合、

第一楽章の葛藤と嘘くさい救済的なコーダ、
第三楽章の皮肉と高揚、
第四楽章の悲しみも、全てにおいて、

諦念の力により、恐ろしく、
救済
されたものになっています。


ソナタ形式?チャイコフスキーの(自殺?)
悲愴という感傷的な気分?
巧みなオーケストレーション・構成?

それら、全てを超越した「場所」に至っている、
と私は考えています。いや、確信を持っています。


この文章は一気に書き上げたものです。
論理矛盾している箇所もあるかもしれませんので、
ご容赦下さい。


<軽~く、CDレヴュー>

ミュンヘンフィルの透明なでいて、不思議な明るさがある音色を基調としています。
異常な透明感(弦楽器の驚異的なアンサンブル!)と適切(完璧!)なバランスを保っています。、
第一楽章と第四楽章は筆舌に尽くしがたく、これ以上の「なにか」はありえないのではないのかと錯覚させられる。
第一楽章がソナタ形式であることを強烈に意識させる第1主題と第2主題の対比が見事、
ここまでの理想的な対立(二元論的な意味での)は滅多に味わえるものではありません。
また、チェリビダッケの楽譜(チャイコフスキー)に対する、忠誠心も感じることが出来ます。
(一体この音符にはどのような意味があり、作曲家はどんなことを考えながら、この音符を書きつけたのだろう?)
最後の拍手は、音が消えるように終わり、余韻を十分に味わった後に始まる。
チェリビダッケがすごければ、そのファンも偉い!
非常に、よく配慮しています。


PS:
私は以前、ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団のマーラー「交響曲第9番」を聴きに行きました。
マーラーのこの曲も、悲愴と同じく、音がディミヌエンドして終わります。
(この終わりの静寂な部分にかけがえのない意味があると、私は考えています。)
しかし、ディミヌエンド中に「ブラボー」(決して「ブラーヴォ」ではなかった。日本語読み。)と叫びだす方が居られまして、
残念ながら、その演奏会自体に対する印象も悪くなってしまいました。
(演奏自体は凄く良かったのに・・・)


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テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

  1. 2010/12/07(火) 21:15:41|
  2. セルジュ・チェリビダッケ
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