生きること、死ぬこと、それ以上のなにか・・・

このブログでは、音楽、なかでもクラシック作曲家である「バッハ」を中心に取り上げます。 また演奏家、CDについての批評も行います。 ちなみに私は指揮者のセルジュ・チェリビダッケに深く傾倒しております。

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チェリビダッケ批評 11 チャイコフスキー 交響曲第6番 「悲愴」


チャイコフスキー:交響曲第6番/Tchaikovsky;Symphony no.6チャイコフスキー:交響曲第6番/Tchaikovsky;Symphony no.6
(2007/01/01)
チャイコフスキー、 他

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EMIから販売されている、チェリビダッケの演奏をレヴューします。
これは第11回目のレビューになります。

第11回目の曲目は、

"チャイコフスキー 交響曲第6番 『悲愴』 ロ短調作品74"(1992年録音)
原題: Tchaikovsky Symphony No.6 "Pathetique" in h-moll

チャイコフスキー自身の「交響曲第4番」「交響曲第5番」と並び、傑作の一つです。

正直に述べますと、この曲のレヴューを行うのは辛いです。
それは、この音楽が、その内に、
「自己破滅」「絶望」「自暴自棄」といったイデーを内在しているためかもしれません。
ただ聴くのみだけでしたら、そう問題にはならないかもしれません。
しかしこれはレヴュー(断じて感想ではない!)ですので、
作品の本質に可能な限り近づかないといけないという思いが私の中にあります。
よって、この曲のレヴューはきついなぁと思ってしまいます。


以前も記述しましたが、繰り返させて頂きます。
この曲は、チャイコフスキーの交響曲としてだけではなく、ロマン派の交響曲としても、最高のものの一つです。
(あとは、ベートーヴェン、ブルックナー、ドヴォルザーク、(マーラー?保留)位でしょうか。)
(ちなみに、私はブラームスの交響曲は、余り好んで聴きません。)


この曲に関して、チャイコフスキー自身は自身の最高傑作であると確信していたようです。
それを裏付けるエピソードとして、
人間としてのチャイコフスキーは極端なペシミストで、
常に自分の作品がどのように評価されるのか気になって仕方なかったそうです。

また、自身の作分を否定的に、
例えば「チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲」の初演を、
ヴァイオリニストのレオポルド・アウアー(当時の楽壇の権威)に依頼し、
「この曲は演奏不可能」であるとの返答をうけて、非情にショックを受けています。。

この交響曲第6番 『悲愴』の初演での評価は芳しいものではありませんでした。
しかし、チャイコフスキーはこの作品に関してのみは、
「自身の最高傑作」であるとかたく認識していたようです。

初演の9日後にチャイコフスキーはコレラ及び肺水腫で死亡しています。
様々な説がありますが、そのことについては触れません。


悲愴は「急 - 舞 - 舞 - 緩」という4楽章形式で創り上げられています。


―演奏について―

第1楽章
Adagio - Allegro non troppo
序奏付きソナタ形式、ロ短調


交響曲第5番でも述べましたが、
通常、このこの交響曲第6番の第一楽章の冒頭部分は、
悲しみを帯びた音色で奏されます。
しかし、チェリビダッケはの演奏で感じるのは、
「諦念」です。


なにか。。。
すべてを諦めているような。。。
それでも懸命に生きようとしているような。。。


しかし、「暗い」、絶望的なまでに「暗い」音楽です。

序奏部での上行3音形(ミ → ♯ファ → ソ)は、
この曲全体を通して、ある時は逆行形の形で姿を現します。


これはそのまま、第一主題
(ヴィオラとチェロの合奏(両パートの奏者の半分のみで奏する。))に受け継がれます。

チェリビダッケは執拗にこの音形を強調します、
それが、曲全体の統一感をもたらしています。


ここでのチャイコフスキーの管弦楽法の巧みさに圧倒されます。
私はこの曲のスコアを分析しましたが、
実に合理的、かつ有機的にオーケストレーションが為されています。

また、pppppp(ピアニッシッシッシッシモ?)
等の極端な強弱記号を使用するなど、表現意欲にあふれているように感じます。


そしてチェリビダッケとミュンヘン・フィルは、
オーケストラの全ての楽器が有機的な繋がりを持つよう演奏します。


圧巻なのは再現部の最後の辺りです。
全ての楽器がフォルテッシモで鳴り響いているのに、
全てのパートを俯瞰することが出来ます。
私はこの部分を初めて聴いたとき、
全身に稲妻が走ったような経験をしましたことがあります。
そのぐらい衝撃的です。
なんで、トロンボーンがこんなに強奏しているのに、木管の音が聴こえるのでしょうか?

ここは、最もチャイコフスキーとチェリビダッケの天才性が明らかになる個所の一つです。

音楽は徐々に、自然(不自然)?に優しさ(救い)?を取り戻していこうとします。

そして、最後のコーダの美しさ、今にも消えそうな儚さは何なんでしょうか?
救い?
いえ、違います。
このコーダの儚さは、後の楽章で完膚なきまでに、蹂躙されます。


第2楽章
Allegro con grazia
複合三部形式、ニ長調

非常に優雅な音楽です。
が、
4分の5拍子という混合拍子によるワルツなので、どこか不安定です。
(この音楽では踊れませんね。)
中間部の暗さは恐ろしいようです。

チェリビダッケの演奏で感心させられるのが、
アゴーギクが非常に適切に為されているということです。
(特に弦楽器群のセクションに顕著に現れます。)



第3楽章
Allegro molto vivace
スケルツォと行進曲(A-B-A-B)、ト長調


12/8拍子のスケルツォから、
4/4拍子の行進曲が姿を表し、
スケルツォから取って代わります。
この行進曲での高揚は凄まじいものがあります。
ここ部分でのアッチェレランドはなんていう自然さなんでしょう!

終楽章のことを考えると、
とても捻くれた(悲しい)音楽のように感じます。



第4楽章
Finale. Adagio lamentoso
(Andante lamentoso)


当時、緩急楽章を交響曲の結部に配置することは稀でした。
このことからも、チャイコフスキーのこの曲に対する表現意識の強さを推して知ることができます。


主題も、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが主旋律を1音ごとに交互に弾くという異常な形式を用いています。

オーケストラの音色は澄み切っています。
(澄み切っているという言葉だけでは表現したくありませんが、
非情に独特で透明で色彩が豊かで音色が深くて、
この時期のチェリビダッケとミュンヘン・フィルにしか、
達成し得なかった音色です。)



最後、曲は消え入るように終わります。
そして、諦念、無常感を感じさせます



チャイコフスキーの絶望を表現し尽くした演奏ではないのかもしれませんが、
この支離滅裂な交響曲に全体的な一体感を与えることが出来た希有な演奏だと思います。


ちなみにこの曲は1993年の来日コンサートで取り上げられています。
ALTUSさん、音源をリリースして下さい。






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テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

  1. 2011/03/09(水) 03:15:10|
  2. チェリビダッケ批評
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チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル

チャイコフスキー : 交響曲第6番ロ短調「悲愴」チャイコフスキー : 交響曲第6番ロ短調「悲愴」
(1997/11/27)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

商品詳細を見る


久しぶりにチェリビダッケを取り上げます。

==============================================

取り上げる曲目は、
チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」 ロ短調
チャイコフスキーの最後の交響曲です。

1.「悲愴」の持つ形式について
2.「悲愴」のオーケストレーションについて
3.「悲愴」の内容、またチェリビダッケの演奏による悲愴の意味
4.チェリビダッケが演奏を通して実現したこととその意味


曲(1&2)と演奏(3&4)について記述を行います。

1.<形式について>

当時の交響曲は概ね、以下の形式をとっていました。

一般的な交響曲(以下を4楽章形式に読み替えてください。)

「急 - 緩 - 舞 - 急」
第一楽章
    最初に問題提起を行います。ここで提起された問題は解決されることなく、次の楽章に進みます。
第二楽章
    緩やかな楽章、第一楽章の緊張を緩和する意味合いもあります。「まぁ、ちょっくらゆっくりすべぇ」みたいな。
第三楽章
    ベートーヴェン以前→「踊りでも踊るか」ベートーヴェン以降→第四楽章のための準備(クライマックスへの周到な計算)第四楽章
    全てを昇華するための楽章です。第一楽章で提起された問題の解決を図ります。

チャイコフスキーの悲愴

「急 - 舞 - 舞 - 緩」
第一楽章
    最初に問題提起を行います。そこは一般的な交響曲と一緒です。
    しかし、最も重要な点はこの楽章の最後で、提起された問題が、(救済?)により解決されているとい     うことです。
第二楽章
    「踊りでも踊るべぇ」、しかし、4分の5拍子という混合拍子により、変てこな踊りになります。
第三楽章
    すっごい皮肉な音楽。なにこれ?最後に高揚して終結を迎える。次の第四楽章とのコントラストが異常。
第四楽章
    全ては悲しみのうちに解決される。(そもそも、問題は存在しなかった。)


以上のように、形式だけを取り上げても、革新的(当時においては)です。
全体の形式を俯瞰するだけでも、
チャイコフスキーの異常なまでの表現意欲が実感できます。


2.<管弦楽法について>
オーケストレーションも良く出来ています。
(重なり合う楽器間の見通しの良さったらない!)

そもそも、オーケストレーションに関して言えば、
チャイコフスキーという人のスキルは、
クラシック音楽の作曲家の中でも群を抜いています。


ロマン派の作曲家のオーケストレーションだけを取り上げ、批評します。ちょっと脱線・・・
(かなり、主観が入っているのでご容赦を(´ ▽`).。o♪♪ ボケ~)

・ベートーヴェン →頑張ってるね~、でも気合いが空回り気味・・・いやいや、良いところもある。
・ベルリオーズ  →ド派手ですね~革新的だけど、まぁ、一発屋・・・
・シューマン   →上手くはないけど、下手でもない。まぁまぁ・・・たまに変てこな響きが現れる。
・メンデルスゾーン→無難な感じ・・・たまに透明で、感心させられる時がある。
・ワーグナー   →非常に煽情的(官能的?)。そりゃ、ルートヴィヒ2世もヒトラーもハマりますわな。
ブルックナー  
→独自の世界に入っている。良い悪いの問題ではない。この人だけがなし得ることができた。
・ブラームス   →シューマンと同レベル。さすがロマン派を代表するブラームス先生!
・チャイコフスキー
→非常に考え抜かれた、適切なオーケストレーション。響きが他のボンクラとは違う。
マーラー    
→濃厚トンコツラーメン(交響曲第9番、大地の歌を除く)


個人的に好きなランキング
(ロマン派のオーケストレーションに限って)


第1位 ブルックナー(Anton Bruckner) 神秘的 
第2位 チャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky) 上手すぎ 
第3位 マーラー(Gustav Mahler) 狂気のような音の重ね方

3.<悲愴の内容について>
曲が表明する世界観は、演奏と密接に関わり合いをもつ。
よって、この曲の内容は「チェリビダッケの演奏」で詳述させて頂きます。

==============================================


3.<内容、そしてチェリビダッケが演奏(表現)した悲愴の意味>

チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー
チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」
1992 Lve録音


最初に結論を述べます。
この演奏は、恐ろしい領域に到達しています。
私は第一楽章を聴いていて、体中に稲妻が走ったような感覚に襲われました。
チャイコフスキーの形式、オーケストレーション、この曲が訴え掛けたいなにか・・・
全てを完璧(チェリビダッケの美学の中で)に意味あるものとして、表現しています。

これは畏怖すべき対象にさえ為りうるものです。

<このような演奏が生まれた背景>

(音楽が実現されるために必要なプロセス)

①人間が、作曲家が、このような曲を着想し、作曲という形で楽譜に残します。

②演奏者が、その楽譜から、
 作曲家の着想を想像(論理的に、あるいは直感によって)し、演奏を実現します。

③そして、聴き手は、生あるいはCDで、作曲家の意見を、突き付けられます。


以上のこの一連のプロセス①~③は、無限に繰り返されているでしょう。
チェリビダッケのチャイコフスキーも、これと同じプロセスを通過しています。

録音嫌いだった、チェリビダッケですが、
こうした貴重な遺産が残されたことに対して、とても感謝の念を覚えます。


ただ、この録音は、なにかそれ以上のものを、実現?
しているような感覚に襲われます。
おそらくそれは、”本来の意味”での、「音楽」ではないでしょう。
(”本来の意味”とは?)


4.<チェリビダッケが演奏を通して実現したこととその意味>

生前、チェリビダッケの目標は、

「聴き手に、
「現在に全てがある」
ことを経験させる」


ことだったそうです。

また、こうも述べています。

「現在が永遠であることを理解するとき、
それは神の存在を経験できたということなのです」


つまり、チェリビダッケは「音楽」というものを媒介にして、
「ヒト」に「カミ」を経験させようとしていたのでしょう。


しかし、それ(「ヒト」に「カミ」を経験)を実現させるのは、非情に、難しいことです。
いや、成し遂げられたことが、奇跡的だと、私は思っています。

それを実現するためには、以下の内容が必要になります。


「初まりの中に終わりがある」(時間軸という観念からの脱出)
「全ての音、それぞれに意味がある」(ユートピア願望?世界観の表明)



話を戻しましょう。
チェリビダッケのチャイコフスキー「悲愴」においては、それが達成されています。

なぜ、達成出来たのか?

面倒な過程は省きます。

それは、おそらく、チェリビダッケが世界、宇宙、神に対して
「諦念」を抱いていたからです。

つまり、演奏される曲よりもっと以前、
深くに、チェリビダッケの「諦念」があります。
よって、演奏された曲が、どんなに激しいものであろうとも、
絶望を詠ったものであっても、
どこか、「諦め」の気配が感じられます。


チャイコフスキー「悲愴」の場合、

第一楽章の葛藤と嘘くさい救済的なコーダ、
第三楽章の皮肉と高揚、
第四楽章の悲しみも、全てにおいて、

諦念の力により、恐ろしく、
救済
されたものになっています。


ソナタ形式?チャイコフスキーの(自殺?)
悲愴という感傷的な気分?
巧みなオーケストレーション・構成?

それら、全てを超越した「場所」に至っている、
と私は考えています。いや、確信を持っています。


この文章は一気に書き上げたものです。
論理矛盾している箇所もあるかもしれませんので、
ご容赦下さい。


<軽~く、CDレヴュー>

ミュンヘンフィルの透明なでいて、不思議な明るさがある音色を基調としています。
異常な透明感(弦楽器の驚異的なアンサンブル!)と適切(完璧!)なバランスを保っています。、
第一楽章と第四楽章は筆舌に尽くしがたく、これ以上の「なにか」はありえないのではないのかと錯覚させられる。
第一楽章がソナタ形式であることを強烈に意識させる第1主題と第2主題の対比が見事、
ここまでの理想的な対立(二元論的な意味での)は滅多に味わえるものではありません。
また、チェリビダッケの楽譜(チャイコフスキー)に対する、忠誠心も感じることが出来ます。
(一体この音符にはどのような意味があり、作曲家はどんなことを考えながら、この音符を書きつけたのだろう?)
最後の拍手は、音が消えるように終わり、余韻を十分に味わった後に始まる。
チェリビダッケがすごければ、そのファンも偉い!
非常に、よく配慮しています。


PS:
私は以前、ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団のマーラー「交響曲第9番」を聴きに行きました。
マーラーのこの曲も、悲愴と同じく、音がディミヌエンドして終わります。
(この終わりの静寂な部分にかけがえのない意味があると、私は考えています。)
しかし、ディミヌエンド中に「ブラボー」(決して「ブラーヴォ」ではなかった。日本語読み。)と叫びだす方が居られまして、
残念ながら、その演奏会自体に対する印象も悪くなってしまいました。
(演奏自体は凄く良かったのに・・・)


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  1. 2010/12/07(火) 21:15:41|
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